2012年 5月 14日

沖縄県祖国復帰に想うコト

投稿者: ai カテゴリー: ブログ

『沖縄県祖国復帰40周年大会』参加してきました!
5月11日~の3日間は 爽やかな晴天が続き、
祖国復帰40周年を祝うのに ふさわしい天気でした。

佐喜眞宜野湾市長の講演
さて、12日に行われた
『沖縄県祖国復帰40周年記念大会』。
会場の宜野湾市民会館大ホールには
約1,300人以上もの方があつまり、
今日までの沖縄の歴史や先人達の想いを振り返りながら、
祖国復帰40周年を迎えた誇りと喜びを わかち合いました。

沖縄に滞在中、
旧海軍司令部壕慰霊を訪ねる事が出来ました。
大東亜戦争末期、日本海軍の司令部が置かれた場所です。
そして、迷路のように堀り巡らされた壕の中で、
多数の将兵が玉砕した場所でもあります。

豪内は全長450m。
こののうち、約300mが公開されている部分。
その中には 幕僚室などがあります。
白い漆喰で固めた壁には、無数の穴が残っていました。
これらは、参謀が自決した際の手榴弾の破片跡だそうです。

また、大田実司令官が
自決を遂げたと言われている部屋もありました。

大田司令官は自決する直前、海軍次官に宛て、
沖縄県民の敢闘の様子を 訴えています。
旧海軍司令部壕慰霊前にて

沖縄県民斯く戦へり。
県民に対し 後世特別の御高配を賜んことを。

この言葉で結ばれた電報を打ち、
昭和20年6月13日、太田司令官は自ら命を絶ちました。

沖縄の惨状、住民の命がけの協力を打電し、
「県民斯く戦えり。 今後のご高配を」と
言い残して散った大田司令官。

今の日本は、沖縄は、
大田司令官の想いに応えているだろうか?

国を守るため 散華して行った方達の事を考えると、
日本は今のままではいけないと思います。

私たち一人一人が 正しい国家観を持ち、
日本人としての自覚、
そして 誇りと自信を取り戻さなければいけません。
先人達が血を吐く思いで護ってくれた日本を、
ちゃんとしたカタチで 次世代へ引き継がなければならないと感じました。

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