2012年 5月 25日
日本を護る、自衛隊の抑止力!
先日、日本会議杉並支部の総会で、
軍事ジャーナリストの井上和彦さんの講演を聞きました。
井上和彦さんと言えば、
軍事・安全保障問題のエキスパート!
『たかじんのそこまで言って委員会』では、
その鋭い切り口が人気のジャーナリストですね♪
今回の井上さんのテーマは、
『日本を護る 自衛隊の抑止力』。
特に 東日本大震災の際、
災害救助にあたった自衛官が、
いかに自分の身を顧みず 国民を護ってくれたか。
そして、迷彩服姿の隊員の存在が、
いかに被災地の方々に 勇気を与えたか。
その事を語ってくれました。
その中で、
最も印象に残ったエピソードを紹介します。
それは、石巻市大川小学校の「うみちゃん」が
自衛隊に送った手紙です。
「じえいたいさんへ
げんきですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちが
みんなしんでしまいました。
でも、じえいたいさんが がんばってくれているので
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう。
うみより」
おそらく小学校の低学年位の女の子でしょう。
うみちゃんは、多くのお友達を亡くしました。
彼女が心に負った傷は、はかり知る事が出来ません。
しかし、自衛隊の勇姿を目の当たりにし、
自衛隊に励まされ、わたしもがんばろう!と
思ったのです。
そして、壊滅的な石巻市を、日本の未来を、
「日本をたすけてください」と言う言葉で、
自衛隊に託したのです。
幼い少女から 国を託される軍隊が、どこの国にあるでしょうか。
こんな奇跡が起きるのは、日本の自衛隊だけです。
災害派遣に出向いた自衛官達は 食べるモノも満足に食べず、
2週間以上も着替えができず、お風呂も入れず…。
そんな過酷な行上の中でも、
常に被災者を第一に考え、
被災者の気持ちに寄り添うように活動しているからこそ、
国民と自衛隊の間に この様な絆が生まれるのだと思います。
また、“平成の玉音放送”と呼ばれる
『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば』の中で
陛下は「自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする 国や地方自治体の人…」と、
自衛隊を一番に労っておられます。
私は この玉音放送こそが、全てを物語っていると思います。
軍事ジャーナリストの井上和彦さんの講演を聞きました。
井上和彦さんと言えば、
軍事・安全保障問題のエキスパート!
『たかじんのそこまで言って委員会』では、
その鋭い切り口が人気のジャーナリストですね♪
今回の井上さんのテーマは、
『日本を護る 自衛隊の抑止力』。
特に 東日本大震災の際、
災害救助にあたった自衛官が、
いかに自分の身を顧みず 国民を護ってくれたか。
そして、迷彩服姿の隊員の存在が、
いかに被災地の方々に 勇気を与えたか。
その事を語ってくれました。
その中で、
最も印象に残ったエピソードを紹介します。
それは、石巻市大川小学校の「うみちゃん」が
自衛隊に送った手紙です。
「じえいたいさんへ
げんきですか。
つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちが
みんなしんでしまいました。
でも、じえいたいさんが がんばってくれているので
わたしもがんばります。
日本をたすけてください。
いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう。
うみより」
おそらく小学校の低学年位の女の子でしょう。
うみちゃんは、多くのお友達を亡くしました。
彼女が心に負った傷は、はかり知る事が出来ません。
しかし、自衛隊の勇姿を目の当たりにし、
自衛隊に励まされ、わたしもがんばろう!と
思ったのです。
そして、壊滅的な石巻市を、日本の未来を、
「日本をたすけてください」と言う言葉で、
自衛隊に託したのです。
幼い少女から 国を託される軍隊が、どこの国にあるでしょうか。
こんな奇跡が起きるのは、日本の自衛隊だけです。
災害派遣に出向いた自衛官達は 食べるモノも満足に食べず、
2週間以上も着替えができず、お風呂も入れず…。
そんな過酷な行上の中でも、
常に被災者を第一に考え、
被災者の気持ちに寄り添うように活動しているからこそ、
国民と自衛隊の間に この様な絆が生まれるのだと思います。
また、“平成の玉音放送”と呼ばれる
『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば』の中で
陛下は「自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする 国や地方自治体の人…」と、
自衛隊を一番に労っておられます。
私は この玉音放送こそが、全てを物語っていると思います。